高卒最強投手 平成の怪物 松坂大輔の成績を振り返る 

野球

おはこんばんちわ。

今回は平成の怪物と言われ、日米や国際大会でも活躍した松坂大輔投手の

成績を振り返っていきます。

1年目(19歳) 1999年 西武ライオンズ

25登板 投球回180 防御率2.60 16勝5敗 6完投 2完封 151奪三振 WHIP1.17

タイトル、表彰 最多勝 新人王 ベストナイン ゴールデングラブ賞

1年目は平成の怪物という前評判通りの活躍し最多勝を獲得。

これまでの高卒ルーキーの中でも最高の成績でした。

2年目(20歳) 2000年 西武ライオンズ 

27登板 投球回167.2 防御率3.97 14勝7敗 1セーブ 6完投 2完封 144奪三振 WHIP1.35

タイトル、表彰 最多勝 最多奪三振 ベストナイン ゴールデングラブ賞

2年目はシドニーオリンピックに出場の為離脱もあり

前年より成績を落としてしまいますが、最多勝、最多奪三振を獲得。

2年目でチーム、日本のエースに君臨しました。

3年目(21歳) 2001年 西武ライオンズ

33登板 投球回240.1 防御率3.60 15勝15敗 12完投 2完封 214奪三振 WHIP1.25

タイトル、表彰 最多勝 最多奪三振 沢村賞 ベストナイン ゴールデングラブ賞

3年連続最多勝、2年連続最多奪三振、初の沢村賞を受賞。

しかしこの沢村賞受賞は15敗していたことで賛否両論あり、これからの活躍の期待も込めてという

選考者の言葉もありました。

240イニングを投げる大車輪の活躍でした。

4年目(22歳) 2002年 西武ライオンズ

14登板 投球回73.1 防御率3.68 6勝2敗 2完投 78奪三振 WHIP1.02

前年の投球方過多もあり右肘を故障し、初の長期離脱しタイトルを取れず。

開幕から6連勝と好調だったために残念なシーズンでした。

5年目(23歳) 2003年 西武ライオンズ

29登板 投球回194 防御率2.83 16勝7敗 8完投 2完封 215奪三振 WHIP1.17

タイトル、表彰 最優秀防御率 最多奪三振 ゴールデングラブ賞

前年の故障から復活し、初の最優秀防御率と3度目の最多奪三振を受賞。

この年はラビットボールの為、かなりの打高シーズンでしたが安定した投球で活躍しました。

6年目(24歳) 2004年 西武ライオンズ

23登板 投球回146 防御率2.90 10勝6敗 10完投 5完封 127奪三振 WHIP1.16

タイトル、表彰 最優秀防御率 ゴールデングラブ賞

前年に続いて打高シーズン、アテネオリンピック出場の為離脱がありながら

10完投、5完封と奮闘した。2年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得。

オリンピックでも日本のエースとして活躍しました。

7年目(25歳) 2005年 西武ライオンズ

28登板 投球回215 防御率2.30 14勝13敗 15完投 3完封 226奪三振 WHIP1.03

タイトル、表彰 最多奪三振 ゴールデングラブ賞

防御率2.30、215イニング、15完投、226奪三振と大車輪の活躍を見せますが

このシーズンは援護に恵まれす13敗してしまいます。

8年目(26歳) 2006年 西武ライオンズ

25登板 投球回186.1 防御率2.13 17勝5敗 13完投 2完封 200奪三振 WHIP0.92

タイトル、表彰 ゴールデングラブ賞

第1回WBCにエースとして出場しMVPを獲得。

シーズンでも全ての面で抜群の成績を残しますが、ソフトバンクの斎藤和己投手がさらに抜群の成績を

残したため、タイトルを取れずに終わります。

このオフポスティングでのメジャーリーグ挑戦を表明。

9年目(27歳) 2007年 ボストン・レッドソックス

32登板 投球回204.2 防御率4.40 15勝12敗 1完投 201奪三振 WHIP1.32

メジャーでの1年目は前半戦は好調なスタートを切りいい成績で折り返しますが、

後半戦は相手チームの研究も進み打ち込まれる試合も増え成績を落としてしまいます。

ですが1年目で200イニング、200奪三振、15勝は立派な成績で

チームもワールドシリーズを優勝します。

10年目(28歳) 2008年 ボストン・レッドソックス

29登板 投球回167.2 防御率2.90 18勝3敗 154奪三振 WHIP1.32

勝星、防御率と良化しますが、投球回は減り、1イニング当たりの球数も多く

早い回で交代する試合が多かったため、18勝できたのはリリーフのおかげと

賛否の分かれるシーズンとなった。

11年目(29歳) 2009年 ボストン・レッドソックス

12登板 投球回59.1 防御率5.76 4勝6敗 54奪三振 WHIP1.87

第2回WBCに出場しエースとして活躍し最多勝、2大会連続のMVPに選出。

しかしシーズンでは打ち込まれる試合が多く、故障者リスト入りし離脱。

プロ入り最低の成績に終わります。

またWBC前に股関節を痛めていたことを公表しチームに謝罪します。

このシーズンから故障が増えます。

12年目(30歳) 2010年 ボストン・レッドソックス

25登板 投球回153.2 防御率4.69 9勝6敗 133奪三振 WHIP1.37

2度の故障者リスト入りで離脱、2年連続で規定投球回に届かず

完全復活とはならなかった。

13年目(31歳) 2011年 ボストン・レッドソックス

8登板 投球回37.1 防御率5.30 3勝3敗 26奪三振 WHIP1.47

この年右ひじを痛め離脱。

帰国しトミージョン手術を受けることに。

14年目(32歳) 2012年 ボストン・レッドソックス

11登板 投球回45.2 防御率8.28 1勝7敗 41奪三振 WHIP1.71

この年トミージョン手術から復帰。

しかし全盛期の投球は取り戻せず、10回以上先発した投手の中で最低の防御率に終わる。

この年FAになり移籍

15年目(33歳) 2013年 ニューヨーク・メッツ

7登板 投球回38.2 防御率4.42 3勝3敗 33奪三振 WHIP1.24

この年はマイナーリーグからスタートしますが、8月にメッツとメジャー契約を交わし

メジャーに復帰。

移籍後3試合は打ち込まれますが移籍後、初勝利を記録してからはシーズン3連勝し

シーズンを終えます。来シーズンに期待のできるシーズンと思われました。

16年目(34歳) 2014年 ニューヨーク・メッツ

34登板 投球回83.1 防御率3.89 3勝3敗 1セーブ 3ホールド 78奪三振 WHIP1.34

マイナーからスタートしますが、4月にメジャー契約を交わし昇格。

主にリリーフで起用されますが、6月に先発に復帰、しかし7月に故障で離脱し

8月に復帰後は再びリリーフで起用されます。

9月は4試合を無失点と好投し来シーズンに期待のできる内容だった。

シーズン終了後にFAになる。

17年目(35歳) 2015年 ソフトバンクホークス

日本球界に復帰したが、オープン戦登板後に右肩を故障し離脱。

その後登板はなく、シーズンをそのまま終える。

18年目(36歳) 2016年 ソフトバンクホークス

1登板 投球回1 防御率18.00 0勝0敗 奪三振2 WHIP5.00

 シーズン最終戦の楽天戦に登板するも、打ち込まれ炎上する。

19年目(37歳) 2017年 ソフトバンクホークス

オープン戦で好投するが、4月の登板予定の試合の前に再び故障しその後

登板なくシーズンを終える。

チームからは育成契約かコーチ契約での契約続行を打診されるが、拒否し退団する。

20年目(38歳) 2018年 中日ドラゴンズ

11登板 投球回55.1 防御率3.74 6勝4敗 51奪三振 WHIP1.48

表彰 カムバック賞

中日ドラゴンズに移籍し、6勝をあげカムバック賞を受賞。

21年目(39歳) 2019年 中日ドラゴンズ

2登板 投球回5.1 防御率16.88 0勝1敗 2奪三振 WHIP2.63

キャンプで故障し、シーズン後半に復帰し2試合に登板するも打ち込まれる。

そのままシーズンオフに退団する。

22年目(40歳) 2020年 西武ライオンズ

西武ライオンズに復帰し、6月の練習試合に登板し無失点に抑える。

しかし7月に手術を受けそのまま登板なくシーズンを終える。

23年目(41歳) 2021年 西武ライオンズ

登板のないまま7月7日に現役引退が発表sれる。

通算成績

NPB

218登板 投球回1464.1 防御率3.04 114勝65敗 1セーブ 1410奪三振 WHIP1.16

タイトル、表彰

最多勝3回(99、00、01)

最優秀防御率2回(03、04)

最多奪三振4回(00、01、03、05)

沢村賞1回(01)

新人王1回(99)

ベストナイン3回(99~01)

ゴールデングラブ賞7回(99~01、03~06)

カムバック賞1回(18)

MLB 

158登板 投球回790.1 防御率4.45 56勝43敗 1セーブ 3ホールド 720奪三振 WHIP1.40

最後に

間違いなく高卒ルーキーでは最強の投手で、瞬く間に日本のエースへと成長しました。

しかし2009年のWBC以降は故障続きで成績を残せませんでした。

松坂投手曰くメジャーのマウンド、ボール、調整法に対応できなかったと話がありましたが

イチロー選手に深い所でなめているだろうと言われたように、体重も増えあきらかに調整不足の

ように見えました。

もともと練習嫌いで有名だったみたいですし、あまり練習していなかったのかもしれません。

プロでいきなり通用する実力があったのと、堤オーナーに甘やかされ特別扱いされていたみたい

ですし、横浜に入っていたら変わっていたのかな?

どこか、同じ西部に入団しルーキーから活躍した清原選手と似ている所がありますね。

松坂選手は当然200勝し名球会に入ると言われていたので、もっとやれたのではと思います。

しかし非常にファンの多い選手ですし、甲子園の伝説的な活躍から、ワールドシリーズチャンピオン

WBCで世界一本当に漫画の世界から出てきたような選手で私も大好きな選手でした。

これからも野球に携わってくれると嬉しいです。

現役生活お疲れさまでした。

いつか指導者としてユニホームを着てくれるのを楽しみに待っています。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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