みなさんおはこんばんちわ。
今回はNPBのドラフト1位指名の競合数をまとめてみました。
4球団以上の指名の選手から紹介します。
ではプレイボール⚾
目次
- 8球団競合 野茂英雄
- 8球団競合 小池秀郎
- 7球団競合 福留孝介
- 7球団競合 清宮幸太郎
- 6球団競合 岡田彰布
- 6球団競合 清原和博
- 6球団競合 大場翔太
- 6球団競合 菊池雄星
- 6球団競合 大石達也
- 5球団競合 近藤真市
- 5球団競合 佐藤由規
- 5球団競合 長谷部康平
- 5球団競合 松井祐樹
- 4球団競合 江夏豊
- 4球団競合 江川卓
- 4球団競合 森繫和
- 4球団競合 原辰徳
- 4球団競合 高野光
- 4球団競合 若田部健一
- 4球団競合 松井秀喜
- 4球団競合 川口知哉
- 4球団競合 寺原隼人
- 4球団競合 田中将大
- 4球団競合 中田翔
- 4球団競合 斎藤佑樹
- 4球団競会 藤浪晋太郎
- 4球団競合 有原航平
- 4球団競合 小園海斗
- 4球団競合 根尾昂
- 4球団競合 佐々木朗希
- 4球団競合 佐藤輝明
- 4球団競合 早川隆久
- 4球団競合 隅田知一郎
- 最後に
8球団競合 野茂英雄
社会人時代にソウルオリンピックに出場し
古田敦也とバッテリーを組み、銀メダルを獲得。
1989年のドラフト会議にてアマチュア№1投手の評価や、12球団OKの報道から
阪神、ロッテ、ヤクルト、大洋、ダイエー、日本ハム、オリックス、近鉄の8球団が
競合し近鉄が交渉権を獲得し入団します。
近鉄ではエースとして投手タイトルを総なめし、後に契約のもつれから
メジャーへ。
メジャーでも新人王や、最多奪三振のタイトルを獲得し大活躍。
日本人メジャーリーガーのパイオニアです。
8球団競合 小池秀郎
亜細亜大学にて東都大学野球リーグで活躍し、
日米大学野球選手権の日本代表に選出され、最高殊勲賞を獲得し
1990年のドラフトで大学№1投手の評価を得て
西部、ヤクルト、阪神、ロッテ、中日、広島、日本ハム、近鉄の8球団が競合し
ロッテが交渉権を獲得。
しかし勇逸入団したくなかった球団だったため、入団を拒否し松下電器へ。
後に1992年のドラフト会議で近鉄から1位指名され入団します。
1997年に最多勝を獲得し、オールスター出場や、シドニーオリンピック代表にも
選ばれますが
通算で51勝47敗と、前評判ほどの活躍はできませんでした。
7球団競合 福留孝介
名門PL学園の4番を1年の秋から努め1995年の夏の甲子園でも大活躍し
同年のドラフトで高校生№1スラッガーの評価を得て
中日、巨人、近鉄、日本ハム、ロッテ、オリックス、ヤクルトの7球団が競合し
近鉄が交渉権を獲得。
しかし意中の球団の巨人、中日ではなかった為入団を拒否し日本生命へ。
社会人野球でも活躍し、1998年のドラフトで当時の制度であった逆指名を使い
中日を逆指名し入団します。
入団から3年間は内野を守りましたが、守備不安からスランプに陥ります。
4年目に外野へコンバートされ守備不安も消え、才能が開花し首位打者を獲得。
その後も首位打者を取るなど大活躍します。
2008年にメジャーへ舞台を移しますが、春は活躍しますが後に失速というシーズンを
繰り返し期待されたほど、メジャーでは活躍できず
2013年から再び日本球界へ。
2021年現在も、中日で現役選手として活躍しています。
7球団競合 清宮幸太郎
父はラグビーで活躍した清宮克幸氏
リトルリーグ時代から注目され活躍し、高校は早稲田実業へ進学します。
1年時から主軸として活躍し夏の甲子園へ出場し、2本の本塁打を放ちます。
3年時の夏の甲子園大会には、地区大会の決勝で敗れ出場できませんでしたが
高校生歴代1位の通算111本の本塁打の実績から2017年の野手で№1の評価を得て
ロッテ、日本ハム、ヤクルト、巨人、阪神、楽天、ソフトバンクの7球団が競合し
日本ハムが交渉権を獲得し、入団します。
キャンプで盲腸になるなど不運もあり開幕1軍を逃しますが、2軍で結果を残し
5月に1軍へ昇格しこの年7本の本塁打を放ちます。
しかし毎年離脱するなど故障が多く、2019年には右手首を痛め右有鉤骨骨折と診断され
骨片の除去手術を受けます。
この故障は打者には致命的で、2021年現在も2軍で伸び悩んでいます。
まだ若い選手ですので、今後の活躍に期待したいですね。
6球団競合 岡田彰布
早稲田大学で東京6大学リーグで通算打率と打点の記録を残し
1979年のドラフトの目玉として、阪神、近鉄、阪急、西武、南海、ヤクルトの
6球団が競合し、阪神が交渉権を獲得し入団します。
阪神は意中の球団だったそうです。
1年目から活躍し新人王を獲得します。
また1985年には主軸として、打率342、35本、10打点と大活躍し
阪神初の日本1に貢献します。
その後阪神、オリックスの監督に就任し、2005年には阪神でリーグ優勝を果たします。
6球団競合 清原和博
名門PL学園で1年時から4番を務め、高校生活ですべての甲子園大会に出場し
夏の甲子園の2度の優勝に貢献。
個人としても甲子園通算13本の本塁打を放ち、1985年のドラフトの目玉として
阪神、西武、南海、日本ハム、中日、近鉄の6球団が競合し西武が交渉権を獲得し入団します。
しかしこのドラフトは、自身の意中の球団であった巨人が進学表明をしていた
チームメイトの桑田を強行指名し入団、KKドラフト事件として今でも語られています。
しかしそのうっぷんを晴らすように、1年目から3割30本というルーキーとは思えない成績を残し
新人王にも選ばれ大活躍します。
通算2000本安打や500本塁打を達成しますが、これだけの成績を残しながら
もっとすごい活躍ができた選手、伸び悩んだと言われるほどの、才能を持った選手でした。
6球団競合 大場翔太
東洋大学で2期連続MVPの活躍から平成の鉄腕と呼ばれこの年の大学№1投手の評価を得て
2007年の大学、社会人ドラフトで、ソフトバンク、オリックス、横浜、阪神、日本ハム、巨人の
6球団が競合し、ソフトバンクが交渉権を獲得し入団します。
プロ初登板で無四球完封勝利という鮮烈なデビューを果たしますが
その後は伸び悩み、2016年に現役引退します。
前評判ほど活躍できませんでしたがこの時期は高校生と、ドラフトが分かれていたため
合同であれば6球団も競合しなかったかもしれませんね。
6球団競合 菊池雄星
花巻東のエースとして、2009年の甲子園で春準優勝、夏ベスト4に導き
左でMax154キロ記録するなどメジャーのスカウトからも注目されていました。
菊池選手もメジャー志向が高かった為に、直接メジャー入りか注目されましたが
日本球界を選択し
ドラフトでは西武、阪神、ヤクルト、楽天、中日、日本ハムの6球団が競合し
西武が交渉権を獲得し入団します。
6年目からチームのエースに定着し、翌年には最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得。
そして憧れであったメジャーリーグに挑戦します。
メジャー入り後は苦労しましたが、年々球速も上げてるなど進化し
2021年シーズンは安定した投球を披露しています。
6球団競合 大石達也
早稲田大学でクローザーとして活躍しNPB選抜との対戦で、広島の天谷から2つの三振を
奪ったり、世界大学野球選手権でアメリカ代表の中軸から3つの三振を奪い、プロからも
注目されます。
ドラフトでは西武、横浜、楽天、広島、阪神、オリックスから指名され、西武が交渉権を獲得
し入団します。
最初は先発に回される予定でしたが、リリーフの人員不足のために
救援投手として1軍でシーズンを迎えます。
しかし右肩痛に苦しみ1軍登板のないまま2軍へ。
結局この右肩痛にずっと悩まされることになり、ほとんどのシーズンで離脱。
状態がいい時は好成績のシーズンもありましたが、
故障が多く、ほとんどのシーズンで1軍では戦力になれませんでした。
2019年オフに西武から戦力外通告を受け現役を引退。
現在は2軍の投手コーチを務めています。
6球団競合と非常に期待された選手でしたが、ケガに悩まされ選手生命でした。
5球団競合 近藤真市
1986年に享栄高校のエースとして、春と夏の甲子園に出場し
140キロ中盤から後半のストレートと大きく縦に変化するカーブで注目を集め
10年に1人の逸材として注目を集めます。
中日、阪神、広島、ヤクルト、日本ハムの5球団が競合し、中日が交渉権を獲得し入団します。
史上初の1軍初登板でノーヒットノーランを達成し、鮮烈なデビューをします。
しかしそこが野球選手としてのピークで、その後ケガに悩まされることとなり
1994年に現役を引退します。
その後もスカウト、スコアラー、コーチを務めるなど中日で活躍されます。
5球団競合 佐藤由規
仙台育英のエースとして3季連続甲子園に出場し、2007年の日米親善試合で球速157キロを記録し
注目されます。
ドラフトではヤクルト、楽天、横浜、中日、巨人の5球団が競合し、ヤクルトが
交渉権を獲得し入団します。
2年目には先発ローテーションに定着し、3年目には2桁勝利を挙げ順調に成長します。
しかしこれからエースに、という所で故障し離脱。
以後もずっと故障に悩まされることになり1軍で戦力になれず2018年ヤクルトから戦力外通告を
うけます。
その後楽天へ移籍しますが1軍登板はなく2020年に戦力外通告。
現在もNPB復帰を目指し、BC埼玉で現役を続けています。
161キロを記録し、これからどんな凄い投手になるんだという時に、故障してしまい
故障がなければとどんな凄い投手になっていたんだと、よくいわれる選手です。
今も現役ですのでもう一花咲かせてほしいですね。
5球団競合 長谷部康平
北京オリンピックのアジア予選メンバーに、勇逸アマチュアの選手で選ばれ注目を集めます。
ドラフトでは、楽天、中日、広島、ロッテ、西武の5球団が競合し、
楽天が交渉権を獲得し入団します。
しかし何度も手術するなど故障に苦しみ、1軍ではほとんどのシーズンで戦力になれず。
2016年に戦力外通告を受け現役を引退します。
非常に期待された選手でしたが、ケガに悩まされ期待に応えられませんでした。
5球団競合 松井祐樹
2013年の夏の甲子園で桐光学園のエースとして、10連続奪三振と1試合22奪三振の記録を
作り注目されます。
ドラフトでは、楽天、中日、ソフトバンク、横浜、日本ハムの5球団が競合し
楽天が交渉権を獲得し入団します。
1年目は先発で起用されますが、のちにクローザーへ配置転換され活躍し
最多セーブのタイトルを獲得し、現在は日本を代表するクローザーへと成長しました。
4球団競合 江夏豊
高校時代に1度も柵越えの本塁打を打たれたことがなくほどの選手で注目され
1966年のドラフトで、阪神、巨人、東映、阪急の4球団が競合し、阪神が交渉権を獲得し入団します。
1年目から活躍し、その後も最多勝や最優秀防御率のタイトルを獲得阪神のエースへ。
中でもオールスターの9連続奪三振と、史上初の延長でのノーヒットノーラン達成は語り草です。
しかし現役晩年は、実力はありながら自身の性格も災いし首脳陣喉との確執があり、
色んな球団を渡り歩きます。
最後はメジャーリーグ挑戦し、ブルワーズの春季キャンプに招待選手として参加しますが
ロースターに残れずその後現役を引退します。
このことは36歳でメジャーに挑戦するルーキーとして地元のマスコミにも取り上げられました。
また元々は右利きだったらしく兄に言われて左利きにしたらしいです。
現在でも401奪三振のNPBシーズン記録を保持しています。
4球団競合 江川卓
作新学園のエースとして高校時代から昭和の怪物として注目されます。
ドラフトでは阪急から1位指名を受けますが指名拒否し法政大学へ。
大学でも活躍しドラフトではクラウンライターライオンズから1位指名を受けますが
再び指名拒否。
社会人野球に進むとさらに2年間指名を受けられないため、作新学園職員としてアメリカに留学します。
そしてドラフト、しかしあの有名な空白の1日事件が前日におこります。
ドラフト前日の空白の1日を利用し江川は巨人と契約。
しかしドラフトは問題を起こした巨人がボイコットしますが行われ
南海、ロッテ、近鉄、阪神の4球団が競合し、阪神が交渉権を獲得。
結局一度阪神に入団し、当時の巨人のエース小林繁とのトレードで巨人に入団します。
しかしこの件で江川選手は、マスコミやファンからも信頼をなくし嫌われます。
この件でマスコミを敵に回したため沢村賞を受賞できませんでした。
投手タイトルを独占するなど活躍しましたが、
晩年は100球肩などと言われたり、9年間と短い選手生活でした。
高校時代に対戦した選手などは、高校時代が1番凄い球を投げていたと言っていましたし
高卒でプロ入りしていれば、200勝を達成できていたかもしれませんね。
4球団競合 森繫和
駒澤大学で最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインなどを受賞し注目され
ロッテから1位指名を受けたが指名を拒否し、住友金属へ。
社会人野球日本選手権で優勝し、最高殊勲選手賞を受賞するなど活躍し
ドラフトでは、西武、中日、ヤクルト、日本ハムの4球団が競合し、西武が交渉権を獲得し入団します。
最優秀救援投手を獲得するなど活躍しますが、肩の故障に悩まされ9年と短い現役生活でした。
引退後は西武、ロッテ、日本ハム、横浜、中日でコーチを務め
中日では監督も務めます。
落合氏からの信頼が非常に厚く、投手の事はすべて任されていたみたいです。
4球団競合 原辰徳
東海大学に入学し首都大学リーグで3度の最高殊勲選手、2度の打撃三冠王を獲得するなど
活躍し、1980年のドラフトで巨人、広島、大洋、日本ハムの4球団が競合し
巨人が交渉権を獲得し入団します。
新人王、打点王を獲得し、通算382本の本塁打を打つなど活躍しました。
巨人では長嶋、王に継ぐ次世代のスタートして期待されたため、過度のバッシングを浴びたりと
成績のわりにバッシングが多かったです。
引退後は巨人でコーチをに就任し、その後監督へ。
3度巨人の監督に就きリーグ優勝9度、日本一3度、代表監督として2009年の
WBCを優勝するなど名将としての地位を確立しています。
現在も巨人軍全権監督を務めています。
4球団競合 高野光
東海大学にて、リーグ通算23勝1敗、防御率0.91、214奪三振という圧倒的な成績を残し
1983年のドラフトで、大洋、阪急、西武、ヤクルトの4球団が競合し
ヤクルトが交渉権を獲得し入団します。
最初の数年は順調に勝ち星を挙げ一時はヤクルトの顔とまで言われていました。
しかし1989年に右肘靭帯を痛めてからは手術をするなど長期離脱します。
復帰をしますが、その後も故障に泣かされ1994年に、現役を引退します。
その後はオリックスや、台湾野球、韓国野球でコーチを務めました。
しかし2000年に自宅から飛び降り死亡。
関係者の話から、お金に繰りにそうとう困っていたみたいです。
4球団競合 若田部健一
駒澤大学のエースとして、リーグ最優秀選手や、ベストナイン、最高殊勲賞など受賞するなど活躍し
1991年のドラフトで、ダイエー、巨人、広島、西武の4球団が競合し
ダイエーが交渉権を獲得し入団します。
1999年と2000年のリーグ優勝に貢献、2002年オフにFAで横浜に移籍します。
横浜に移籍後は1勝しかできず、2005年に戦力外通告を受け現役を引退します。
現在はソフトバンクでコーチをされています。
4球団競合 松井秀喜
名門星稜高校にて1年生から4番を務め、甲子園で活躍します。
中でも1992年の夏の甲子園、明徳義塾選での5打席連続敬遠は今も伝説として語られています。
明徳義塾の馬淵監督は試合後に【高校生の中に1人だけプロがいると】語りました。
1992年のドラフトの目玉として、巨人、阪神、中日、ダイエーの4球団が競合し
巨人が交渉権を獲得し入団します。
ドラフト時は、松井選手は阪神ファンだったため複雑な気持ちだったらしいです。
巨人入り後も順調に成長し、首位打者、本塁打王、打点王など獲得し
日本人最強打者へ。
2002年オフにFAでヤンキースに、メジャーへと活躍の場を移します。
2009年のヤンキースのワールドシリーズ制覇に貢献し、MVPを獲得します。
その後はいくつかの球団を転々としましたが、古傷のひざの痛みなどもあり
成績が低迷し、2012年に現役を引退します。
引退後もヤンキースに携わり、アメリカで生活をされています。
大谷選手に更新されるまでは、日本人打者のメジャーの最多本塁打数の記録を持っていました。
4球団競合 川口知哉
平安高校のエースで4番として甲子園で活躍し夏の甲子園を準優勝に導きます。
1997年のドラフトでオリックス、近鉄、ヤクルト、横浜の4球団が競合し
オリックスが交渉権を獲得し入団します。
しかしプロでは制球難で活躍できず、通算0勝のまま2004年に現役を引退します。
その後は女子プロ野球でコーチや監督を務めています。
ビックマウスで注目された選手でした。
4球団競合 寺原隼人
日南学園のエースとして甲子園で当時最速の球速154キロを記録し注目を浴びます。
2001年のドラフトで、ダイエー、巨人、横浜、中日の4球団が競合し
ダイエーが交渉権を獲得し入団します。
その後は数球団渡り歩き2019年に現役を引退します。
プロ通算は73勝81敗と負け越し当初の期待には応えられませんでした。
4球団競合 田中将大
駒大苫小牧のエースとして甲子園で、2005年夏、優勝、2006年夏、準優勝に貢献します。
中でも2006年の夏の甲子園決勝での斎藤佑樹選手との投げ合いは今でも伝説の試合として
有名です。
2006年のドラフトで、楽天、日本ハム、オリックス、横浜の4球団が競合し
楽天が交渉権を獲得し入団します。
1年目から11勝を挙げ新人王を獲得するなど活躍しその後は日本最強投手へと成長します。
2013年には24勝0敗1セーブと圧倒的な成績を残し楽天の初の日本一へと導きます。
その後2013年オフにヤンキースへと移籍しメジャーへ。
メジャーでも6年連続2桁勝利を挙げるなど活躍しますが、2021年シーズンから楽天に復帰。
現在も楽天のエースとして活躍中です。
4球団競合 中田翔
名門大阪桐蔭で1年からレギュラーで活躍し
肩の故障をするまでは、エースで4番として活躍していました。
高校通算87本の本塁打を放ち2007年のドラフトで打者の目玉として注目を集めます。
ドラフトでは、阪神、オリックス、ソフトバンク、日本ハムの4球団が競合し
日本ハムが交渉権を獲得し入団します。
4年目から1軍に定着し3度の打点王を獲得し、日本代表でも4番を務めました。
しかし2021年は不調でさらに暴力事件を起こしてしまいます。
その後巨人にトレードで移籍しました。
4球団競合 斎藤佑樹
早稲田実業でエースとして夏の甲子園を優勝し、その後早稲田大学へ。
早稲田大学でも1年からエースに君臨し活躍します。
しかしケガの影響で3年時と4年時の成績は下降していました。
2010年のドラフトでは、ヤクルト、ロッテ、ソフトバンク、日本ハムの4球団が競合し
日本ハムが交渉権を獲得し入団します。
しかしプロでは1年目こそそこそこ活躍しますが、以後成績は下降していき
現在は故障の為復帰を目指しリハビリ中です。
2021年をもって現役引退が発表され、先日引退試合を行いました。
4球団競会 藤浪晋太郎
大阪桐蔭のエースとして2012年の春、夏甲子園連覇に貢献。
2012年のドラフトで、阪神、ヤクルト、ロッテ、オリックスの4球団が競合し
阪神が交渉権を獲得し入団します。
1年目から10勝、防御率2.75と活躍し、順調に成長していきます。
しかし4年目の2016年シーズンから成績が下降していき、2019年は1勝もできず。
阪神のエースに君臨すると思われていましたが制球に苦しみ現在も、もがき苦しんでいます。
4球団競合 有原航平
早稲田大学で東京6大学リーグで活躍し、最優秀防御率のタイトルを獲得。
2014年のドラフトで、日本ハム、横浜、広島、阪神の4球団が競合し
日本ハムが交渉権を獲得し入団します。
1年目から活躍し新人王を受賞します。
その後はチームのエースへと成長し、最多勝のタイトルも獲得します。
2020年オフメジャー挑戦を表明し、レンジャーズへと移籍しメジャーへ。
4球団競合 小園海斗
名門報徳学園で2年からレギュラーをつかみ、2年生から高校日本代表に選出され注目されます。
2018年のドラフトで、広島、オリックス、横浜、ソフトバンク、の4球団が競合し
広島が交渉権を獲得し入団します。
早くも2021シーズンショートのレギュラーの座をつかみました。
今後の活躍に注目です。
4球団競合 根尾昂
大阪桐蔭で2018年の甲子園、春夏連覇の主力として活躍し注目されます。
2018年のドラフトで、中日、巨人、ヤクルト、日本ハムの4球団が競合し
中日が交渉権を獲得し入団します。
2021年は開幕1軍で左翼のレギュラーを勝ち取りましたが、打撃で苦戦し
いまだスタメン定着はできていません。
今後に注目です。
4球団競合 佐々木朗希
高校時代に163キロを記録し令和の怪物として注目されます。
2019年のドラフトで、ロッテ、日本ハム、楽天、西武の4球団が競合し
ロッテが交渉権を獲得し入団します。
じっくり育てる方針で1年目は公式戦の登板がありませんでした。
しかし2021年シーズンは1軍で登板し勝利を挙げるなど早くも令和の怪物の片鱗を見せています。
これからどんな投手になるか楽しみです。
4球団競合 佐藤輝明
近畿大学で1年からレギュラーをつかみ、リーグで本塁打を量産しそのパワーが注目されます。
2020年の打者の目玉としてドラフトで、阪神、巨人、ソフトバンク、オリックスの4球団が競合し
阪神が交渉権を獲得し入団します。
オープン戦でも持ち前のパワーで本塁打を量産し見事開幕レギュラーの座をつかみ取りました。
今後の活躍に注目です。
4球団競合 早川隆久
早稲田大学で3年時からエースになり、4年時には6勝0敗、防御率0.39
また球速も155キロを記録しこの年の大学№1投手として注目を集めます。
2020年のドラフトで、楽天、西武、ヤクルト、ロッテの4球団が競合し
楽天が交渉権を獲得し入団します。
1年目から早くも先発ローテーション入りし活躍しています。
4球団競合 隅田知一郎
西日本工業大学で1年の春からベンチ入りし活躍。
2021年のドラフトで大学№1投手として注目を集め、西武、広島、巨人、ヤクルトの
4球団が指名し、抽選の結果西武が交渉権を獲得し入団します。
1年目から先発として14試合に登板しましたが
1勝10敗の成績に終わりました。
最後に
やはりアマチュア時代に圧倒的な成績を残し
注目を集めた選手でも、必ず活躍しているとは限りませんね。
活躍した選手や、活躍できなかった選手でも、ケガ泣かされる選手が多い印象です。
やはりプロの世界は厳しいですね。
まだ現役の選手も多く残っていまし小園選手や、佐々木朗希選手、佐藤輝明選手はどんな成長をして
どんな凄い選手になるのか今後に注目です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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