プロで活躍できなかった甲子園のスター選手

アイドル

みなさんおはこんばんちわ。

今回はプロで活躍できなかった

甲子園のスター選手を

5人紹介していきます。

目次

1 荒木大輔

1人目に紹介する選手は昭和の甲子園のアイドル

荒木大輔氏です。

早稲田実業のエースとして

甲子園には5期連続で出場

端正なルックスで若い女性を中心に人気を博し

新生児の名前で大輔が1位になるなど

大ちゃんフィーバーを巻き起こしました。

ドラフトでは当初は進学を表明していましたが

交渉権を獲得したヤクルトの

松園尚巳オーナーの人柄に惹かれ

ヤクルトに入団します。

プロ入り後はさらに人気が増し

取り囲む女性ファンを避けるため

神宮のクラブハウスと球場を結ぶ

地下通路を使用し、

この通路は荒木トンネルと呼ばれるほど

の凄い人気だったそうです。

しかしプロでの成績は伸び悩み

1度2桁勝利を上げたものの

防御率も悪く通算で

39勝49敗と負け越し

防御率も4.80でした。

最後は無償トレードで横浜に移籍しますが

勝星を挙げることができず

現役を引退しました。

現在は日本ハムで1軍投手コーチです。

元々甲子園でも年々成績が悪化していたため

伸びしろが少ない選手だったのかも

しれませんね。

2 川口知哉

2人目に紹介する選手は1997年に

平安高校でエースで4番

春ベスト8、夏準優勝に導いた

川口知哉氏です。

この年のドラフトでも注目度は№1で

ドラフトではオリックス、近鉄

ヤクルト、横浜の4球団から指名され

本人の希望球団でもあった

オリックスが交渉権を獲得し入団します。

しかしプロでは課題の制球難を克服できず

何度か1軍でチャンスをもらうが

いかせず

通算で0勝1敗で勝ち星を挙げれず

2004年に球団から戦力外通告をうけ

トライアウトを受けるも獲得球団は

なく現役を引退しました。

また川口選手はビックマウスで有名で

高校時代には完全試合を達成しますと

発言したり(結果は完投勝利、2失点)

プロ入り後は新人王をとります

20勝はしたい、仰木監督に

儂はいつになったら1軍で投げさせてくれるねん

と直訴したりなどマスコミにも取り上げられました。

しかし活躍できず、それとともに

ビックマウスも

なくなったみたいです。

本人は活躍できなかった原因を

1年目の春に投手コーチに

投球フォーム改造を強制された為と

インタビューで語っていました。

その為、ファームが合わずバラバラになり

制球難を克服できなかった

みたいですね。

やはりプロの世界は制球が悪いと

なかなか活躍できませんね。

3 辻内崇伸

3人目に紹介する選手は2005年の甲子園で

エースとして大阪桐蔭で活躍した

辻内崇伸氏です。

甲子園では左腕として球速156キロ

を記録し注目されます。

ドラフト会議ではオリックス

巨人から1位指名され

巨人が交渉権を獲得します。

しかしドラフトでオリックスの

中村GMがNPBの印鑑を交渉権獲得の

印と勘違いし

ガッツポーズをしてしまいます。

報道でも一時オリックスが

交渉権獲得と出て

辻内投手もオリックスに会見で

素晴らしい球団とコメントを出します

しかし巨人が交渉権を獲得していたため

後に訂正され、辻内投手が再び会見し

小さい時から巨人に憧れていたと

笑顔でコメントします。

後に辻内氏は、関西から出たかったと

コメントしています。

巨人には松井秀喜氏以来の

契約金1億円で入団と

期待されていました。

しかしプロ入り後は

制球難を克服できず

肩の故障もあり

結局1軍の公式戦で

1度も登板のないまま

2013年オフに戦力外通告を受ける。

実働は4年で故障に悩まされ

球速は120キロほどしか

でなくなっていたため

本人も半ば諦めていたようです。

野球ファンの間でも

毎年辻内投手は戦力外に

なるんじゃないかと心配されていましたし

引退後はテレビでも

何度か特集されていました。

女子チームの監督に就任し

現在は退任し秋田に移住しているとの事です。

やはりプロの世界は厳しいですね。

4 島袋洋奨

4人目に紹介する選手は

2010年の甲子園で興南高校のエースとして

春夏連覇を達成した島袋洋奨氏です。

甲子園大会では通算11勝2敗、

防御率1.63と抜群の成績を残し

ドラフトでも注目されていましたが

進学を表明し、中央大学入りします。

大学でも1年から活躍し

東都大学野球の新人王に選出されます。

しかし酷使が祟り2年時に左肘を故障し

復帰してからは4勝9敗と負け越し

4年時には中継ぎに配置転換されます。

ケガで壊れたとの声が上がり

ドラフトでは指名を危ぶまれましたが

ソフトバンクがドラフト5位で指名し

入団します。

しかしプロ入り後も1軍登板は

1年目の2試合のみで

その後は1軍登板もなく2019年に

戦力外通告を受ける。

現在は母校の興南高校で

指導者として活躍されています。

島袋投手大学に行ったため

酷使され故障したため

野球ファンの間でも大学進学は

失敗だったと言われています。

高校時ならおそらく

1巡目指名だったでしょうし

高卒でプロ入りなら左肘の

故障もしていなかったかも

しれませんし。

故障後はいい時の投球フォームを

思い出せなかったみたいですし

残念でした。

5 斎藤佑樹

5人目に紹介する選手は2006年の

甲子園で早稲田実業のエースとして

夏優勝に導びき、ハンカチフィーバーを

巻き起こした斎藤佑樹投手です。

2006年の駒大苫小牧の田中選手との

投げ合いは甲子園の名勝負として

今でも伝説の試合となっています。

その後進路が注目されましたが

早稲田大学への進学を表明します。

大学でも1年からエースとして活躍し

6大学リーグのベストナインにも選出

されます。

しかし大学2年時に股関節の故障をし

リーグでの成績も次第に悪化していきます。

おそらくこの故障をするまでが

斎藤佑樹投手の全盛期でした。

この股関節の故障が後々プロでも

尾を引きます。

2010年のドラフト会議でヤクルト

日本ハム、ロッテ、ソフトバンク

の4球団から1位指名され

日本ハムが交渉権を獲得し入団します。

1年目は6勝6敗、防御率2.69と

まずまずの成績を残しますが

年々成績は悪化し

遂に投手としては致命的な故障の

右肩関節唇の故障をしてしまいます。

この故障が原因でソフトバンクのエースで

沢村賞を2度受賞した斉藤和巳氏も

引退するほどの大けがです。

この故障を発生した原因は上記で説明した

大学時代の股関節のケガが原因みたいです。

股関節をかばう様に投げていたため

手投げになり、肩の負担のかかる

フォームで自然と投げていたために

痛めてしまったみたいです。

この故障後も復帰をし

1軍でも何度か登板していますが

活躍できず。球速も年々でなくなり

2020年には右肘の内側の靭帯を断裂し

再びリハビリ生活を送っています。

2021年での現役引退が発表されました。

平成の甲子園の最大のスターで

私も活躍を期待していましたが残念です。

最後に

斎藤投手と島袋投手は高卒で

プロ入りしていればと今でも

思います。

ほとんどの選手が故障に泣いた選手が多いので

プロで活躍するには能力以外にも

運も必要ですね。

また投手は制球の大事さもよくわかりました。

いくら凄い球を投げていても、

制球が悪いとプロでは厳しいんだと。

現役でも藤浪選手が制球で苦しんでいますしね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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