今回は、先日ヘリコプターの墜落事故で他界した、コービーブライアントの現役時代を振り返っていきます。
目次
ドラフト全体13位指名 名門レイカーズへトレード
コービーは、1996年のドラフトでホーネッツから全体13位で指名を受けます。しかし、当時レイカーズのGMだった、ジェリーウェストがコービーの才能を見抜き獲得に動きます。またコービー自身も、レイカーズに入団出来なければ大学に進学すると表明しレイカーズにトレードされ入団します。この年のドラフト同機には、アレンアイバーソン、ステフォンマーブリー、レイアレン、スティーブナッシュなど、そうそうたるメンツです。
キャリア初期
ルーキーイヤーのシーズンはSGの他に、PG、SFもこなしました。出場時間はまだ少なく平均15分とまだ少なく、平均得点は7.6得点に終わりました。しかし、随所にその才能の片りんを見せていました。1月28日のマーベリックス戦で初めて先発起用され、当時のNBA先発出場最年少記録を塗り替えます。オールスターではダンクコンテストに出場し、こちらもNBA史上最年少で優勝し、ルーキーチャレンジでも当時の歴代最多得点の31得点をあげ、その才能を見せつけます。
2年目のシーズン 1997-1998
2年目のシーズンから出場時間も増え、そのプレーからファンの心を掴み、ベンチスタートながら交代で出場すると大きな歓声が起こり、ファンの数も増加します。その人気を示すように、ファン投票でオールスターにNBA史上最年少で選出され、オールスターに先発出場します。試合では周囲の期待に応え派手なダンクやテクニカルなプレーで観客を沸かせ、2年目で早くもスタープレーヤーの仲間入りを果たします。レイカーズはコービーの急成長もあり61勝21敗の成績を残し、シーズン後半で調子を落とし6thマン賞の受賞は惜しくも逃します。
3年目1998-1999 シャックの存在
ロックアウトで50試合に短縮されたシーズンは、先発の座を奪い、平均得点19.9点5.3リバウンドの成績を残し、オールNBA3rdチームに選出されます。しかしコービーの存在感が増すごとに、チームの大黒柱シャックとの不仲が報じられるようになります。またプレーオフではユダジャズ、スパーズにスイープ負けで敗退しています。
三連覇時代
なかなか優勝に手が届かないレイカーズは、改革に踏み切ります。まずヘッドコーチにブルズを2度のスリーピートに導いた名将フィルジャクソンを招聘します。またベテランのロンハーパーらが加入し、ロスターも大幅に入れ替わります。1999-00シーズンがレイカーズは快進撃!!67勝15敗の成績を残します。コービーも自身初となる平均得点20点越え、平均22.5得点6.3リバウンド4.9アシストの成績を残し、オールNBA2ndチームに選出。ディフェンス面も成長し、史上最年少でのオールディフェンシブ1stチームに選出されます。若くして攻守共にハイレベルなスーパースターへと成長します(コービーすげえ)。プレーオフでも順調に勝ち進みレイカーズは、ファイナルに進出します。ファイナルではレジーミラー擁するインディアナペイサーズと対戦します」。コービーにとっては夢にまで見た大舞台でしたが、第2戦で足首を捻挫してしまい、第3戦からはベンチから試合を見守るという屈辱を味わいます。その間にシャックは大暴れ。シリーズを優位に進めます。それに刺激されコービーはケガも癒えていないのに第4戦に強行出場し、シャックがファウルアウトに追いやられる中、オーバータイムでほとんどの特典を上げる活躍をし、レイカーズを勝利に導きます。レイカーズはそのまま4勝2敗でシリーズを制し、コービーは4年目にしてチャンピオンリングをゲットします。
2000-01シーズンはコービーは平均得点28,5点を挙げて絶好調。またこのシーズン中に結婚もします。チームは56勝26敗で前年ほどではないですが、全シリーズを全勝で勝ち上がりファイナルに進出。ファイナルではアレンアイバーソン擁するセブンティシクサーズと激突。このシリーズを4勝1敗で制し2連覇を達成します。
2001-02シーズンは過去2シーズンは故障に苦しみ60試合代の出場に留まったが、このシーズンはキャリアで初めて80試合に出場し、成績も25,2得点5,5アシストの高水準の成績を残した。オールNBAチームでも初の1stチームに選出された。自身の出身地で開催されたオールスターでもMVPを獲得。しかし前年のファイナルでシクサーズを破っていたために心無いブーイングを食らってしまい、コービーにとっては傷心のオールースターとなってしまいました。このシーズンもファイナルに進出し、ジェイソンキッド率いるネッツをスイープで下し、弱冠23歳にて3個目のチャンピオンリングを獲得する。
レイカーズ王朝の崩壊 シャックとの確執
三連覇を達成し無敵の名をほしいままにしていたレイカーズだったが、コービーとシャックの確執が報じられるようになります。彼らのロッカールームは年々冷め切っていった。2002-2003シーズンはシャックは開幕から欠場。コービーはシャックがいないことで、伸び伸びとプレイし、40得点以上を19回、50点以上を3回、さらに9試合連続40得点以上、また当時のNBA新記録となる、1試合12本の3Pシュートを成功させます。このシーズンは初の平均得点30越えの平均30,0得点6,9リバウンド5,9アシストを記録し活躍します。しかしチームはコービーとシャックの不仲による影響や、3連覇したことでのモチベーションの低下で50勝32敗の成績に終わる。プレーオフでもカンファレンス準決勝でスパーズに2勝4敗で敗れる。
2003-2004シーズン
王座奪回を目指すレイカーズはオフに、カールマローン、ゲイリーペイトンを補強しスター軍団を形成します。このオールスター軍団に周囲の期待はいやが上にも高まります。しかしコービーはコート外のスキャンダルでこの空気を台無しにしてしまいます。コービーのレイプスキャンダルが報じられ、コービーは観客のブーイングや、裁判所との行き来する生活に悩まされます。
しかしプレーオフでは、ファイナルに進出し、デトロイトピストンズと対戦します。しかし1勝4敗で敗れ、王座奪回に失敗してしまいます。
このころになると、コービーとシャックの関係は危険水域に達し、シャックはコービーのわがままなプレイが気に入らず、コービーはシャックの練習不足によるコンディション不足で、試合や練習に欠席する事や、優勝しても評価が上がるのはシャックばかりという状況に嫌気がさし、またフィルジャクソンのシャックの常に機嫌を伺いながら指揮する姿に不信感を抱いており、オフにFAとなる自分をつるか、シャックとフィルジャクソンをとるか、チームに選択を迫ります。結局レイカーズは若いコービーを選びシャックとフィルジャクソンはレイカーズを退団。マローンとペイトンもチームを去り、レイカーズの王朝時代は終焉を迎えます、後年シャックは自分とコービーがこのままデュオをくんでいればもっとリングをとれていたと語っています。不仲による確執により歴代でも屈指のデュオは解体されました(すごく残念だ)
栄光と不満の日々
晴れてエースの座に座ったコービーでしたが、彼を待っていたのは辛い現実でした。新ヘッドコーチにはルディトムジャノビッチを招き、ラマーオドムや、カロンバトラーなどを補強します。しかし2004-2005シーズンは34勝48敗に終わり、プレーオフ進出を逃し、フィルジャクソンやシャックを追い出した挙句、プレーオフにすら導けないと、NBAファンや関係者からバッシングを浴び、屈辱のシーズンとなります。トムジャノビッチは体調不良を理由に1年でヘッドコーチを辞任し、結局自ら追い出したフィルジャクソンが1年でヘッドコーチに復帰します。(後年フィルジャクソンはコービーはコーチング不可能と自伝で批判しています)
2005-2006シーズンはコービーの類稀な得点力が爆発。開幕から4試合連続で30得点以上を記録し、8試合目で42得点を挙げたのを皮切りに、27試合以上で40得点以上を記録、1月には平均43,4得点、そして極めつけは1月26日のラプターズ戦で81得点を達成します。近代バスケでのこの得点数は以上です。1試合得点ランキングは後は、ウィルトチェンバレンとかゆう、基地外みたいな化け物が独占しています。このシーズン平均」35,4得点5,4リバウンドで初の得点王を獲得します。絶好調のコービーに率いられレイカーズは、45勝37敗の成績でプレーオフに進出します。しかし1回戦でサンズに敗れ敗退します。このシーズンでコービーは歴代でも屈指のスコアラーの評価を受けるようになります。
2006-2007シーズンに入ってもコービーは爆発します。1シーズンで50得点以上を10回、60得点以上を2回、平均31,6得点5,7リバウンド5,4アシストの成績で2年連続の得点王を受賞しオールスターでも2度目MVPを獲得します。しかしプレーオフでは、サンズに敗れ2年連続で1回戦敗退となります。コービは1人でシュートを打ちすぎ、チームの勝利よりも自身の得点を優先させていると批判を浴びます。しかしこと得点に関してはジョーダンを超えているのではないかという評価もされ、歴代でも屈指のスコアラーという評価を不動のものとします。しかし、コービー自身はプレーオフで敗退するレイカーズに不満を募らせ、チームにトレード希望を申し出たという報道もされ非難されます。
その後トレード要求を撤回しますが事態は収まらず2007-08シーズンの開幕戦ではレイカーズファンから、ブーイングを浴びます。
2007-08シーズンが開幕し、このシーズンはコービーにとってはターニングポイントのシーズンにまります。
シーズンが始まるとコービーはそれまでの自分勝手な発言を封印し、以前よりも増してリーダーシップを発揮するようになります。コービーの変化に刺激されたチームは最初の10試合を7勝3敗と好スタートを切ります。オフではコービーの望むようなトレードは実現しませんでしたが、トレード期限デッドライン目前で、コービーを歓喜させる重要なトレードが実現します。グリズリーズからリーグ有数のビッグマン、パウガソルを獲得します。このトレードでレイカーズが失ったものは無いに等しいと言われ、最も不公平なトレードと言われます。シャックの退団後インサイドのコマ不足に悩んでいたレイカーズにはこの上ない補強であり、レイカーズは戦力を大幅に向上させ、このシーズンをウエスタンスカンファレンスでトップとなる、57勝を記録し一躍優勝候補へとのし上がった。
コービーは28.3得点 6.3リバウンド 5.4アシストの成績で、念願のシーズンMVPを受賞します。プレーオフでも順調に勝ち進みファイナルの舞台にたどり着きます。ファイナルの対戦相手は、きしくもこのシーズン名門復活を果たした、セルティックスと対戦します。しかしセルティックスの堅い守りを崩せず、2勝4敗で敗れます。
2008-09シーズン悲願の頂点へ
オフでは初めてアメリカ代表としてオリンピックに参加し、金メダルを獲得。代表チームでは得点に対する欲を捨てディフェンスで貢献し、その姿勢が高く評価されます。迎えた2008-09シーズン、レイカーズは開幕から快進撃を続け、65勝17敗で2年連続カンファレンストップの成績を収めます。コービー自身は右手小指の靭帯が断裂したまま手術できずに開幕し、身体は万全の状態ではないシーズンとなり、出場時間はスタメン定着から最も少ない平均36.1分、出場時間の減少で成績は26.8得点 5.2リバウンド 4.9アシストと前年より数字を落とした。しかしオールスターではMVPを獲得し、コービーがリーグ最高峰の選手とゆう評価には変わりはなかった。プレーオフではカンファレンス準決勝でロケッツ相手に第7戦に持ち込まれるなど苦戦する場面もあったが、期待通りに2年連続でファイナルに進出。王座奪還に燃えるコービーは対戦相手のマジックに対し、第1戦で40得点を記録して先制パンチを浴びせると、その後もコンスタントに高得点をあげ続け、マジックにほとんど付け入る隙を与えず、4勝1敗でファイナルを制した。コービーにとっては7年ぶりの優勝おめでとう。
そしてようやく成果を収めたこのファイナルでシリーズ平均32.4得点7.4アシスト5.6リバウンドを記録したコービーは、念願のファイナルMVPを獲得。そして、シャックもコービーの実力をついに認め、祝福の言葉を送った。
2009ー2010シーズン連覇へ
連覇を目指すシーズン、最初の11試合で主力のパウ・ガソルが欠場これは痛い。コービーはガソルの穴を埋めるべく以前のように、爆発的なスコアリングモンスターとなります。11試合中4試合で40点以上を記録凄い!!しかしコービーにも悲劇が襲う。12月11日のティンバーウルブズ戦で相手選手と接触し、右手人差し指を剥離骨折してしまう。しかしコービーは欠場せずに患部をテーピングで固定しながら、試合に出場し続けます。(コービーヤバすぎる)しかも怪我をしてから1か月間の間に3度も、試合を決めるブザービーターを決め、けがの影響を感じさせないプレイを見せます。またこのシーズン中にレイカーズと契約を延長し35歳のシーズンまで3年総額8960万ドル(約85億円)で延長する明るい話題もあった。しかしコービーは無理をしたためにさらに、膝、背中、足首を痛め満身創痍の状態になってしまう。
そんな中シーズンを乗り切りプレーオフに進出、こーびの状態の悪さもあり苦戦もするが、このシーズンも3年連続となるファイナルに進出します。ファイナルの相手は2年前に敗れた因縁の相手セルティックス。ピアース、アレン、ガーネットのビッグ3を要し、リーグ屈指ディフェンスを誇るセルティックスに苦戦し第7銭までもつれ込みます。しかしコービーはシリーズ平均28点、8,0リバウンドと活躍しセルティックスに雪辱を果たし優勝。コービーは2年連続のファイナルMVP、レイカーズは2連覇を達成。コービー自身は5度目の優勝。ついにシャックの優勝回数を上回ります。
2010-2011シーズンスリーピートならず
このシーズンをもって、ヘッドコーチのフィル・ジャクソンの退任が発表されます。レイカーズにとっては集大成のシーズンとなる。しかしコービー自身はオフに手術した右膝の状態が思わしくなく、コンディションが万全でない中のシーズンになる。この時コービーの右膝の軟骨はすり減りほとんどない状態だった(本当に満身創痍過ぎるuu)この影響でコービの出場時間は平均33,9分になり、スタメン定着以降最も少ない出場時間になる。しかしそんな中でもオールスターでは4度目のMVPを獲得。チームは57勝25敗の成績で、コービーは平均25,3得点でプレーオフへ進む。しかしカンファレンス準決勝でのマーベリックス戦で、相手のエースのノヴィツキーを抑えることができず、1勝もできずにスイープで敗退。ジャクソンとの最後のシーズンを2度目のスリーピートで飾ることはできなかった。
2011-2012シーズン波乱の幕開け
レイカーズはコービーの負担を軽減するためにクリス・ポールの獲得に動く。ガソル、オドムの絡んだトレードでチーム間で合意したが、しかしリーグが1つのチームにスターが集まるのを懸念し、トレードを阻止するいう異例の事態が起きる。結果的にトレードは中止になったがトレードの駒になっていたオドムが、ショック受けチームに放出を要求するなど、チームの戦力が低下した状態で開幕を迎える。このシーズンはロックダウンの影響で開幕が遅れたが、満身創痍の状態であったコービーにはとってはケガを癒すいい期間になる。その影響もありコービー自身は平均27,9得点 5,4リバウンド 4,6アシストとゆうスタッツを残し得点王は惜しくもサンダーのデュラントに譲るが、その差は0,1得点であった。このシーズン中にオールスターのジョーダンの通算得点記録も更新する。しかしプレーオフでは2回戦で、デュラント率いるサンダーに1勝4敗で敗れシーズンを終える。
2012-2013シーズン衝撃の結末
オフシーズンにレイカーズは大補強をし、スティーブ・ナッシュ、ドワイト・ハワードを獲得し、コービー、ガソル、ハワード、ナッシュでプレミアム4と呼ばれるようになる。ナッシュの獲得はコービーの負担を軽くし、得点だけに集中させる目的もあった。しかしこの4人はうまく機能せず、ハワードとガソルは共存できず、38歳のナッシュは衰えを隠せず、次第にまたコービーが、ゲームメイクと得点を一人で担うようになり、コービーの負担は増し、チームも低迷する。しかしコービーがゲームメイクと得点を担うようになり次第にチームは勢いを取り戻すが、悲劇がおきる。4月12日のウォーリーアーズ戦で、ドライブを仕掛けた際にコービーの左アキレス腱が完全断裂する。コービは残りの試合を欠場、レイカーズは何とか7位でプレーオフに進むが、エースを失ったチームに力はなく、スパーズにスイープされ、1回戦で姿を消す。コービーのスタッツは平均27,3得点 6,0アシスト 5,6リバウンドと高いスタッツを残したが、酷使した結果が皮肉にもアキレス腱のけがを招いてしまった。
2013-2014シーズン再びの故障
2014年12月8日のラプターズ戦で8か月ぶりの復帰。しかし17日のグリズリーズ戦で相手選手と接触!!検査の結果骨折が判明再び欠場を余儀なくされる。その後の試合も回復が間に合わず全休。2年連続で故障でシーズを終えてしまう。チームはエースを失い、9年ぶりにプレーオフ進出を逃した。
2014-2015シーズン3シーズン連続の故障の悪夢
連続の大怪我から約1年ぶりの復帰。そして2014年の12月14日に行われた、ティンバーウルブズ戦で、マイケル・ジョーダンの通算得点記録(32292)を上回ります。これで通算得点記録は歴代3位に浮上。しかし、またしてもコービーに悲劇が襲う。2015年1月22日のペリカンズ戦にて右肩を負傷。検査の結果、右肩回旋筋腱板の断裂で手術することになる。本当にこの時のコービーを見ていると涙が出てくるほど、つらかった。3シーズン連続で故障で、シーズン欠場となった。
2015-2016ラストシーズン
2015年11月29日【親愛なるバスケットボールへ】と題したメッセージを発表し、今シーズン限りでの現役引退を発表した。こうしてコービーのラストシーズンオールスターに、最多投票を獲得して、18年連続のオールスター出場が決定。4月13日、ついに引退試合を迎える。この試合前には、かつての相棒シャックから50点取ってみろと言われ、コービーはいや無理だよとかえすが、その言葉以上の結果を残し感動の引退試合となる。コービーはこの試合で60得点を記録!!最後のゾーンに入る瞬間は、全盛期を彷彿させるプレーでした。また37歳での60得点以上は、32歳で記録したチェンバレンのこれまでの記録を、大幅に更新。最後のスピーチを終え、マンバアウトといって去っていくところ、最高にかっこよかった。
引退後
コービーのつけた背番号8番、24番は永久欠番に。ステイプルセンターにてNBA初の2つの背番号の永久欠番セレモニーが行われた。
突然の死去
2020年1月26日アメリカ合衆国西部ロサンゼルス近郊のカラバサスで、コービーと次女ジアナの乗ったヘリコプターが墜落し、コービーを含み乗員が全員亡くなったとニュースが入りました………。このニュースを聞いたときは本当に信じられなかったです。この後当然のように殿堂入りし、そのスピーチではどんなことを言うんだろうとか、楽しみにしていた自分がいました。シャックとかとの絡みも楽しみにしていたのに本当に突然で………
このあとコービーの追悼セレモニーが行われました。ジョーダンのスピーチ、ジャーダンとコービーの意外な関係がしれてよかったし、シャックのスピーチも感動あり笑いもありで、本当にすごく良かったです。コービーファンの皆さんも見てください。
コービーの現役時代のプレーを見れて本当に楽しかった、天国でもきっとジアナとバスケ親子で楽しんでるんだろうな安らかに。
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