今回は日本歴代最強馬と言われる、ディープインパクトの戦績を振り返っていきます。
目次
デビューまで
2002年(平成14年)3月25日北海道のノーザンファームで生まれます。父親はスーパーサイヤ―のサンデーサイレンス、母はウインドインハーヘア。兄弟馬には、ブラックタイド(2004年のスプリングS勝ち馬でキタサンブラックの父親)、生まれた当時は、ほかの馬と比べて特に目立った所はなかったそうです。
そして、0歳のセレクトセールに上場され、金子真人オーナー(他にも、アパパネ、キングカメハメハ、クロフネ、マカヒキ、ワグネリアンなどのオーナー)に7000万円で落札されます。サンデーサイレンス産駒で7000万円は低いほうですね(この時上場されたサンデーサイレンス産駒で14頭中9番目の価格)。当時は馬体が薄かったため評価が低かったみたいです。
購入されたオーナーは、【瞳の中に吸い込まれそうな感覚に襲われた】と証言し、ディープインパクトと名付けられた。
池江泰郎厩舎に入厩
2004年(平成16年)9月8日に栗東の池江泰朗厩舎に入厩し、調教を開始されます。厩務員の市川さんは、あまりに可愛らしい顔をしているため、牝馬ではないかと思い、股を見てついてるか確かめたらしいです( ´∀` )
そしてデビュー4日前に武豊騎手を背に調教、この時に調教を終えた後武豊騎手は、【この馬ちょっとやばいかも】とゆったそうです。名手にここまで言わせるとはまさに怪物!!
いよいよデビュー
2004年(平成16年)12月19日阪神競馬場、第5レース、2歳新馬戦芝2000メートルで武豊騎手を背にデビューします。レースでは後に重賞4勝する、コンゴウリキシオーに4馬身差をつける圧勝。その後のインタビューで武豊騎手は、来年楽しみな1頭がいるとすれば、ディープインパクト、みなさん覚えておいてくださいねとコメントされてました。名手もぞっこんの強さ!!
衝撃の2戦目若駒ステークス、そして人気も知名度も全国区へ
2戦目は2005年(平成17年)1月22日、京都競馬場の芝2000m若駒S、最後方から最後の直線だけで5馬身差の圧勝!!このレースは当時テレビで見ていました。もう凄かった、まるでワープしたかのような脚。おっさんもこのレースを見て三冠馬の誕生だ、と思いました。このレースがおっさんはディープのレースで1番印象に残ってます。
そして初重賞挑戦、初G1皐月賞制覇冷っとする場面も
そしてディープ初東上、3戦目は中山競馬場、芝2000mG2弥生賞
レースでは2歳王者マイネルレコルトや京成杯を制したアドマイヤジャパンを寄せ付けず鞭を1発も入れずに勝利。着差は首差ですがまだまだ余裕があったレースでした。
4戦目は牡馬クラシック第1戦のG1皐月賞、中山競馬場芝2000m
レースでは冷っとする場面も、スタート直後躓き落馬寸前に、ここで落馬していたら3冠はなかった、ディープのレースで初めてヒヤッとした瞬間でした。レースは出遅れて最後方からとゆう普通の馬なら絶望的な展開ですがこの馬は別格、4コーナーから上がっていき最後は2馬身半差の快勝!!武豊騎手がこのレースで初めて鞭を入れました。
そしていよいよダービーへ池江先生初ダービー制覇
そして迎えた第5戦目は牡馬クラシック第2戦G1日本ダービー、東京競馬場芝2400m
この時は池江調教師の初ダービー制覇がかかっていたため周りの空気も少しピリピリしていたみたいです。しかしディープインパクトはこの舞台で最高のパフォーマンスを見せます。ダービーレコード2分23秒3、2着インティライミに5馬身差をつける圧勝。2冠達成と池江調教師に初めてのダービーをプレゼント!!
そして秋、トライアル快勝から菊花賞、無敗の三冠馬誕生
秋初戦は阪神競馬場、芝2000m、G2神戸新聞杯レースレコードの、1分58秒4、2馬身半差の快勝、。そしていよいよ三冠のかかった菊花賞へ。
舞台は京都競馬場、芝3000m、G1菊花賞、菊花賞入場レコードの13万人6701人が入場。単勝支持率は79%、オッズは1.0倍の元返し。この日はディープインパクトの記念馬券として単勝馬券を買った人も多かったみたいです。換金してない多いやろしJRAウハウハやな( ´∀` )
そしてレースでは途中かかってしまい危ない所も見せますが、アドマイヤジャパンに2馬身差をつけ圧勝、普通の馬なら届かないような位置から差して勝ってしまいました。(他の年ならアドマイヤジャパンは楽勝だったろうに生まれた年が悪かった)おっさんは関テレの馬場アナの【世界のホースマンよ見てくれ、これが日本近代競馬の結晶だ】て言葉今でも心にめっちゃ残ってます!!
有馬記念へ、まさかの初黒星!!
そして有馬記念へ向かいます、舞台は中山競馬場、芝2500m、G1有馬記念、誰もがディープが勝つだろうと思っていました(この頃にはディープの人気は国民的な人気になっていた)しかしハーツクライの2着に敗退(日本でディープが負けた馬はハーツクライだけ)
いつもは後ろから競馬する馬でしたが、この日は好位からの競馬、ルメール騎手の好騎乗でした。もちろんハーツクライも強い馬でした(翌年ドバイシーマ1着、キングジョージ3着)
21年ぶりの無敗の三冠馬、2005年度の最優秀3歳馬、年度代表馬を受賞
4歳シーズンスタート初戦快勝から、圧勝の天皇賞春、宝塚記念
そして2006年、ディープの初戦は阪神競馬場、芝3000m、G2阪神大賞典、3馬身半差の圧勝、前年の敗戦の悪いイメージを払拭(さすがディープ)
2戦目は京都競馬場、芝3200m、G1天皇賞春、世界レコード3分13秒4で圧勝、2着のリンカーンも世界レコードで走破しています(この馬も生まれた時代が悪かった)おっさんはG1ではこのレースがベストレースです。坂の下りからまくっていってかっちゃいます(あれ京都の下りはゆっくり下るんじゃ、いまでもディープは長距離が適距離なんじゃないかと勝手に思ってます( ´∀` ))
3戦目は阪神競馬場、芝2200m、G1宝塚記念、稍重の馬場でしたがそんなのディープには関係ねえ、4馬身差の圧勝
いよいよ世界へ、凱旋門賞まさかの敗北、そして失格
そして秋いよいよ世界へ、舞台はフランスロンシャン競馬場、芝2400m、最高峰のレース凱旋門賞に出走、しかしまさかの3着、誰もが凱旋門賞アジア初制覇はディープと思ってました(NHKもライブ中継するくらいみんなが勝つと思っていました)、これが競馬の怖い所敗北(勝ち馬はフランスの3歳馬レイルリンク)
そしてさらにショッキングなニュースがディープがが禁止薬物を使っていたとして、失格処分になってしまいます。この時はいろいろ陰謀説など話が出ました。薬物で失格と敗戦と悪いイメージがディープについてしまいました(ドーピングしてたから勝てたんだとか、ドープとかいろいろ言われていました)
復活のJC、引退レース有馬記念
失意の中帰国したディープ、復帰戦、東京競馬場、芝2400m、G1JCに出走します。前走の敗戦や去年有馬で負けたハーツクライが出走していたりと不安がささやかれる中、なんのその2馬身差をつける快勝、英雄ディープ復活。
そして引退レース舞台は中山競馬場、芝2500m、G1有馬記念、前年負けたコースで少し不安視されましたが、ディープには関係なし、3馬身差の圧勝、ラストランでもいつもの英雄ディープの姿を見してくれました。お疲れ様ディープ。2006年度最優秀4歳以上牡馬、年度代表馬受賞、引退後は51億円のシンジケートが組まれ種牡馬に!!
戦績、獲得賞金
14戦12勝(JRAG17勝)皐月賞、日本ダービー、菊花賞、天皇賞春、宝塚記念、JC、有馬記念、獲得賞金14億5455万1000円
もうこれほどの馬は生まれないのかなと思ってますが生きてるうちにもう1度出てこないかな( ´∀` )、おっさんが競馬を見始めてから間違いなく最強馬でした。
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